A Happy New Year of 2019!
今年で開業して3年目になる年を迎えようとしております!
すでに新しい年を迎え3日もたとうとしております。この年齢になると時の経つのが早い!
だから、できることは『今でしょ⁉』ではないですが、本当に『今』しておかないといけませんね。
と、わかっていながら、なかなか行動に移せていない私です。
Sad Year 2018
新年早々悲しい話題を・・・ですが、この悲しさをバネに『今』やるべきことをする、人生悔いなく、そして健康に!を念頭において新たな年を迎えていきたいです。
溺愛していたヨークシャテリアのみゅうちゃんが15歳なりたての2017年11月1日に亡くなってから2018年1年を超えるのは正直、非常に困難でした。
何をしていても思い出してはウルウル・・・
それは、今も変わらず・・・
おバカな私は、最近、みゅうちゃんの血縁を探すために、その手のサイトに沢山登録したり、犬の血統書などを取り扱うケンネルクラブに問い合わしたり、出生地の岡山のブリーダーさんにかたっぱしから問い合わせたり・・・
みゅうちゃんもですが、仲良しの2こ上の友人男性と高校生の同級生男性2人をすい臓癌という魔の病気で失いました。
全てが突然の出来事だったので、とてもとても心が折れました。
ショックで、同級生の友人が亡くなったことを、いまだに他の友人に言えないでいます。
そろそろ、みんなにお伝えしなきゃ、と思っています。
父の誕生日は元旦!
私の父、岩元正旦(まさかつ)は名前にもあるとおり、おめでたい元旦の誕生日です!
昨日、大学サークルの先輩の一言でハッ!とさせられました。
「岩元のお父さん、もう亡くなって20年過ぎてるよな?」
そうです、もう、今年の3月7日命日で23年になります。阪神大震災の翌年に亡くなりました。
ちょうど、大学3年生の就職活動でそろそろ動き出す2月5日に人生が奈落の底に落ちてしまいました。
突然、医者からの1か月の余命宣告。
電車に乗って座ると泣いているのが分かってしまうので、ずっとドア近くに立って通学時、スクールバスに乗ってもドア際に立っていました。
涙が、涙が、涙が出て、止まらない日々でした。
父は命に必死に向き合っていましたが、私は悲しさに死に物狂いで向き合っていました。
本当は男の子が欲しかったようですが、女の子でしたが、父が43歳でできた子だったので、それはそれはそれは、やりたいように、自由に、のびのび、そして、頭の先からつま先まで可愛がってくれた、私の大好きな父でした。
一見、組長のように見える強面な父でしたが、少年として家族を支え戦争中を生き抜いた、優しさ溢れる立派な父でした。若い頃は、イケメンだったようです。
微弱イオンを発生するマット(電位治療器具)を製造する会社を営んでいました。
厚生労働省から認可を取らなければいけない非常に難しい分野で戦っていました。
遊ぶのも、仕事も、すべてが豪快だった父。鴫野(しぎの)の石原裕次郎でした。
背中を見て育ちました。
そして、今の私がいます。
父のように偉大にはまだなれていませんが、いつか父を超えてみせる。
それが、私の父への恩返しです。
いつか、きっと。