David Bowie との出会い

昨日に続き、今日は気軽にサクサクっとブログを更新しようと思っています!

クリスマス前から年始までずっと休まず仕事をしていて、日曜、月曜とようやくお休みが取れて、少しフレッシュな気持ちで今日を迎えることができました。

今朝、FM越しに、David Bowie の有名な曲『Let’s Dance』が流れてきました。

ふと、あっ!今日はボウイの誕生日なんだ・・・と気づきました。

1947年1月7日生まれで、生きていれば、恐らく、72歳。

ボウイが亡くなったのが、3年前の誕生日を迎えたすぐの2016年の1月10日。

Bowieの死が私を後押し

2016年のちょうどその頃は、先月受講していた「女性のための起業セミナー」の受講を終えて、起業なんて定年してからとしか思っていませんでしたが、そのセミナーで偶然にも『ゲストハウス』という起業に出会って、『ゲストハウス』というワードにのめり込んでいる、丁度、まさにそのその頃でした。

テレビをつけているときに、ボウイの死が流れてきました。

ショックはショックでしたが、悲しい・・・という気持ち以上に、ボウイの死から、何かメッセージを貰ったような気持ちが大きかったを覚えています。

 

その時、『よし!ゲストハウス起業しよう!』と奮い立ちました。

デビッド・ボウイとの出会いと私の人生

以前のブログで少しボウイに目覚めた経緯を書きましたが、

http://c-rainbow.love/english1/

ボウイを知ってしまった中学2年生の私は、他のDavid Boiweのアルバム曲はもちろんのこと、他の洋楽をたくさん聴くようになりました。

何しか、ボウイに会いたい!!!の一心でした。

純粋な中学2年生の私は、必死に、ボウイと会うにはどうしたら、最短で会えるのだろう・・・と真剣に考えていました。

前から英語は少し勉強していましたが、その頃から英語に対して本気で向き合うようになっていました。

そうこう考えるうちに、

留学に行って英語を流暢に喋れるようになるのが、ボウイに会える最短な道であろう!

と中学2年生ですでに、高校留学を希望していました。

人生そんなに簡単に行くもんではないんです

高校留学に行きたい!と言っていましたが、中学3年生になった私は、日本の高校進学なんぞや考えることなく、頭の中は留学一色でした。

私は、大阪市立の地元公立中学に通っていました。当時、1学年12クラスもあり、まだ「ビーバップハイスクール」の影響を受けた世代だったので、1クラスにもれなく3,4人は不良の子がいるような荒れ果てた世界でした。

担任の先生は、3年生始まった時から

「お前ら~、別に楽しく仲良くならんでいい。受験に無事合格してくれるだけでいいんや!!!」

と言い切ったすごいアクの強い先生でした。(今の時代ではこんな先生NGだと思います。)

そんな、担任との進路相談で、高校留学を相談すると・・・

「そんなこと今して頂かなくていいんです。まずは、普通に進学してくれたらいいんです。高校留学なんて、やめてください。」と、私の夢を見事にズダズダにしてくれました。

まあ、後々考えると、それも止めてくれたから、また違う道が進めたとも思うのですが。

高校受験

すごく夢見ていた中学卒業とともに高校留学をする(へたしたら、ずっと向こうの学校に行く)という希望が叶わなくなったので、

とりあえず出来るだけの努力というか、近道になることをしようと、

すべてはボウイに会いたいがために考えました。

そこで、私が選んだのは、大阪市立南高校でまだ開設して間もない「英語科」に行くという手段でした。

この高校では、英語の文法、会話など、多様な授業が行われており、専門性を持った英語における素晴らしい邦人、外国人の先生が沢山いました。もちろん、交換留学や留学単位も認めてもらえる当時では新鋭な公立学校でした。

何とか、希望校に合格。

何しか、ボウイに会いたい!と一心な若かりし私でした(笑)

 

 

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