ココロのバランス

こんな題材を一目の触れるブログなどの公共電波的存在のネットワークに載せるのはどうかと思いますが、人生である人は通る道でもある、そして、将来、自分もそうなりうるかも知れないので、勇気をもって今日はブログにしたためます。

うなされまくって起きた一昨日の朝

母の夢を見ていて、うなされまくって朝早めに目覚めました。うなされていたのを寝ながら認識していました。

すごく現実的な夢で、悪夢のようでした。

セリフや場面の詳細は覚えてませんが、最後、うなされに、うなされまくった時は、痴呆になった母と金銭的なトラブルで、私が耐えられなくなり、「ウ~、ウ~、ウ~」と歯を食いしばりながら、悔しさのあまりに腹の底から、野生動物のようにうめきのためいている・・・という最後のシーンでした。

とても現実的で恐ろしい夢で目覚めました。

戦前生まれの母

母は昭和7年生まれ。愛媛県にある瀬戸内の島、愛媛県温泉郡中島(なかじま)=現在は松山市に統合されています に生まれ育ちました。

島育ちなので、戦争中はアメリカ軍の砲爆には遭わなかったそうですが、小学生だった母は防空壕を掘ったり、槍竹で相手を攻撃する練習などを授業をして強制されていたそうです。

愛媛と広島の間にある島なので、広島原爆投下の1945年(昭和20年)8月6日に、母はちょうど家の前の浜辺に出ていたところ、お空が一瞬にしてピカッと光ったのを見たと言っています。

広島の呉が海軍軍艦の拠点だったので、大きな軍艦が護衛艦などに囲まれながら航海に出るところ、島を通りすぎるのも間近で見たと言っています。

若い時から、忍耐強く、声をそんなに荒立てて怒るタイプでもない穏やかな母でした。

が、ここ1,2年で急速に母の様子がおかしくなってきているのが、明らかに分かるようになってきました。

もう、86歳なので、仕方ないとはわかっているのですが。

体も足腰も元気で、昔人間なので、とても頑固でしっかりしている母です。

ただ、どうしても覚えられないことや、自分の身の回りの管理が全くできなくなってきています。

本人は元気でしっかりしているので、「介護認定」を受けるのをとても拒みます。

でも、

・同じものを買い込む

・片づけられなくなる

・現在のことが覚えられない

など認知症のリストにあがっているほぼ全ての項目に当てはまります。

私の自宅から徒歩1分くらいのところに母の住む家があります。

毎日一緒に夕飯をうちで食べたり同居しているのと同然のように母と接する時間の多い私ですが、小さかれ大きかれ初めてのハプニングが毎日のように起こっている状態です。

母を連れて帰郷

そんな高齢の母を連れて、来週、母の姪っ子や甥っ子のいる愛媛県松山市と、母の生まれ育った愛媛県松山市中島(離れ島)にフェリーで2泊3日で急遽行くことになりました!というのもピーチエアーの72時間セールのおかげです。(往復、片道1990円でした!!!)

島にある少ない宿泊施設の一つ、元「宝山亭」という民宿の後にオープンされている THE BONS さんにも宿泊予定です♪

私の大好きな温州みかんで有名な「中島」と何か繋がれたらいいな・・・と思っています♪

母の故郷を母はあと何度訪れることが出来るのかは分かりませんが、今、今、行けることが可能な時に母を連れて帰ってあげたいという娘の私と、自分の子供達にも、素晴らしい自然のある彼女達の「いなか」の空気を吸わせたいという母の私であります。

 

 

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