私、なんだかコラムニスト???くらいの、すごいタイトルから始まってしまいました・・・
あの時を振り返る
昨日が 1月17日 阪神・淡路大震災の日だったので、あの日にフラッシュバックしてみました。
私はちょうど、成人式を迎えたてホヤホヤの大学2回生でした。前日は、一人でよく行く三宮方面にふらっと買い物にも行っていました。早朝、寝ている自宅のベッドの下から急にズドンと突き上げられた後、またまた急に横に激しくベッドが動きました。その揺れがしばらく続きました。
どうすることも出来ずに、揺れがおさまるのを待つしかできませんでした。
隣の部屋で父と母が寝ていて、その揺れの時、父が「あっ、あっ、あっ!!!」と声を出していましたが、何もできなかったようでした。父の枕元に頭上にあったブラウン管のでっかいテレビが落ちてきました。運が悪ければ、このテレビで父は大怪我をしていたかも知れません。
被災地へ
翌日、父は神戸方面にいる親類を探しにバイクで探しに行き、公園でビニールシートを張って避難していることを知り、それから毎日のようにその公園にバイクで通っていました。
私も、大学で国際教養の先生が率いるボランティアサークルに所属していたので、その先生に引率されて3月頃に被害のひどかった長田地区に部員と共に行かせていただきました。
電車はかろうじて復興していましたが、電車からの風景、そして駅を降りた瞬間の画像が、今でも私の脳裏にあります。
まず、長田の駅を降りると、駅前通りでビルの立ち並ぶ通りのビルが倒壊して壊滅状態でした・・・
空気中に廃材やいろんな粉塵が飛んでいて、空気がどんよりしていて、何とも言えない臭いが漂っていました。
そして、少し歩いた先に公園があり、そのそばに教会がありました。
大学の先生のお知り合いがその教会にいらっしゃったので、中にお邪魔させていただきました。
公園でもビニールシートを張って生活されていたり、焚火をたいて暖を取っていたりしていました。
教会の中も、場所も関係なくあちこちで寝転がっていたり、座っていたりしていました。本当に、テレビで見る避難所そのものの状態です。
その一人一人に手を差し伸べることも何もできませんでした。
2011年3月11日 東日本大震災
忘れもしないあの時。ちょうど、産婦人科で上の娘を出産して退院してきて、ちょうど1週間経ったあの昼間。
娘を床に寝かせ、そのすぐそばで母とテレビを見ていた時。
急に、すごい横揺れが始まりました。
ベランダ外の電線を見ると、電線が漫画のように波打って。
小さな娘を前に、私は、
「あー、この地震、どうなるんやろう? どうしたらいいんだろう!」(大ピンチ!!!)
何の余裕もなく、立つことも出来ずに、ただ、ただ、娘に覆いかぶさることしか出来なかった私です。
観ていたテレビの画像が急に、宮城県三陸方面の画像に切り替わり、避難している中継から、そしてあの悲惨で無情な津波のライブ中継になりました。
昨年、2018年の地震と台風
記憶に新しいのが、高槻方面で起こった地震と大阪直撃だった台風です。
地震の時は、自宅のすぐ外にいました。地面から唸るような音を初めてききました。その時も、自転車の前後ろに大切な娘2人を乗せていましたが、どうすることも出来ず、ただただ、自転車を力いっぱいささえているのが精いっぱいでした。
台風でも、自宅の中にいましたが、娘2人を抱きかかえて3人でうずくまっているのが精いっぱいでした。家が台風の風で地震以上に揺れて倒壊するのではないかと思いました。
窓の外では、あらゆるものが空気中を飛び回っていました。
宿泊しているお客様にできること
つらつらと災害の体験を書きましたが、
結局、大きな災害時には自分の身ですら、状況にゆだねるしか出来ないのだと思います。
宿泊しているお客様が、このような災害に遭われたとき、どうしたらいいのでしょうか。
向かい来る被害に抵抗はできなかったとしても、もし、知識があれば、防げることや、出来ること、災害が起こった後の対処方法がより良い方法であるのではないかと思います。
宿に泊まっていただいているすべてのお客様に、安全でいていただくために、これは真剣に取り組む必要性があると思います。
『東京防災』という一つの指針となる防災指導書がありますが、
もし自分が土地勘の全くない海外旅行者の立場で災害にあったら・・・と想定して、
もう少し詳しく、災害時に出くわした場合、これだけはお客様にお伝えしておきたいことをシンプルにかつ分かり易くお伝えできる何かを考える必要があると思います。
集客方法を考えると同じくらいとても大切なことだと思います。
今すぐ簡単に述べれないので、こちらの課題は自分への宿題として少しおいておきます。
どなたか良い方法あれば参考に教えてくださーーーーーい!!!!